戦争体験

剣士  恵土孝吉

今夏、南米初となる第31回夏季オリンピック競技会リオデジャネイロ大会が開催され、日本から、陸上、水泳、バトミントン、柔道競技など総勢 336 人が参加し世界一を目指しました。結果、史上最多となる金メダル12個、銀8個、銅21個と合わせて計41個を獲得しました。選手はもとより監督、コーチの長年にわたる血のにじむ精進、と指導並びに親族、仲間、国、企業らの支援の賜であり、心から選手や関係者に敬意を表します。

一方で、300万人とも何千万人ともいわれる善良な国民は戦火を逃れるため住み慣れた国を背に他 国に避難し、難民となってしまいました。衣食住を得ることに難儀をしいる様をテレビなどで垣間見るごとに、その不条理に無念を通り越し、国を任された政治家らに大きな怒りを覚えます。 

 

72年前、我家は神器の一つ「草薙の剣」が祭られている名古屋市熱田神宮に通ずる旧東海道筋に居を構え、貧しい中にも平穏無事にかつ平和に暮らしていました。ある日を境に床下に防空壕を掘り、焼夷弾などから身を守ることを余儀なくされました。しかしそこも安全ではなくなり、母は比較的安全と噂されていた剣聖宮本武蔵も逗留した「笠覆寺」を目指す決断をしたようです。

母は脚の悪い兄一人を防空壕に残し、乳飲み子の妹を背負う傍ら五歳児の私を連れながら、焼夷弾の降りそそぐ外へ飛出しました。行く手を遮る垂れ下がった電線を避け、織田信長が「桶狭間」に向った東海道筋先にある笠覆寺を探し当て逃げ込み、身を潜めました。空襲警報の合間に親切な土地の人々の支えを得て、芋ずると芋の入った御粥で命を繋ぎ現在に至りました。

このコラムを偶然覗いて頂いた皆さんにおかれましては、剣道が好きな時、好きな時間だけ出来る幸せ・喜びをこの際、十分噛みしめ、二度と戦争のない世界を構築するため叡智を働かせて頂きたいものと思います。少なくとも、我関せずの態度や行動は「天に唾吐く」もので、何時か我々世代と同じ憂き目を見ること、体験することになるものと老婆心ながら心配しています。