対話篇

全国教育系大学剣道連盟より機関誌「ゼミナール剣道」前会長「川崎順一郎先輩を偲ぶ」 原稿を元副会長として依頼され、約40年前を振り返って纏めてみた。

 

傘寿剣士にとって、同じ志を抱いた同世代剣士を偲ぶことは、貴重な懐古時間である。とりわけ昭和後期、関東学生剣道連盟幹事長として全国大会の準備などでその手腕を発揮された先輩剣士について記憶を呼び戻すことは懐かしいことである。

彼は喧嘩に役立つものと考え剣道部に入部した。ある日の稽古相手は身長約1m70cm、体重70kg以上ある剣士であった。互角稽古なのか、打ち込み練習であったのか記憶が定かではないが、その剣士は中々参ったと言わず稽古を続けるのであった。素人剣士は慣れない練習に疲れを感じ、頃合いを図り相手に対し「ハイ、掛かり稽古」と呼びかけた。相手は素直にそれを受け、かつ切返しの声にも応じたのである。

並居る上級生らはビックリ仰天した。何故ならば、対戦相手は戦後剣道の普及・発展に渡辺敏雄先生(茗渓)と共に甚大な功績のある剣道界の重鎮、中野八十二師範(七段・八段選抜大会優勝など)その人であったからである。

稽古終了後挨拶で中野師範は、川崎君に掛かり稽古と切り返しを指導して頂いたと語られたのである。

中野師範の包容力とスケールの大きさが理解されるわけですが、このような出来事は剣道界では前代未聞のことであるとはいうまでもないことである。

しかし、当時の東京教育大学剣道部の在り方は、中野師範を含め現在の部活動とは異なった比較的自由かつ闊達な次元の稽古風景であったであろうことが理解できるのである。羨ましいかぎりである。

卒業後先輩は教員となり、熊本大学退職まで毎年本ゼミナール講師として学生に示唆に富む講話をされた。また、ゼミ終了後においては、初日から代々木参宮駅前の居酒屋「藤本ゼミ?」において、北信越は言うに及ばず北は北海道、南は熊本から参加した先生方と久しく酒酌み交わしながら剣道のあり方について指導して頂いたことが偲ばれるのである。ご冥福を祈ります。