手の内の冴え

 

剣道は、常に相手の攻撃を防ぐとともにすかさず反撃をしなければならない競技です。したがって攻防動作を敏速に、かつ正確にタイミングよく行うためには、体の捌きに加えて竹刀の操作、とりわけ「竹刀の握り」の強弱が大きな役割を持ちます。握りの強弱は、構えた時と打突した時の二つがポイントで、とくに打突した時の「手の内=握り」が問題となります。

 

この手のうちについて、剣聖宮本武蔵は「五輪書」で次のように述べています。「太刀のとりようは、大指、八指を浮る心にもち、たけ高指、しめず、ゆるまず、くすし指、小指をしむる心にて持也。手の内には、くつろぎのある事悪し。敵をきるものなりとおもうて太刀をとるべし」。

 

また、一橋大学剣道部師範であった山田次郎吉は「手筋ヨク通り、傘ヲ持つ心ニテ切る時ハ茶巾絞り、加減最モタリ。小指ヲシメテ刃筋ヲ立ッベキ也。人々、生来ニテ堅く握リシメル者アリ。元ハ宜シカラ。手ノ内、加減悪シケレバ、刃筋立ザる也と経験を基に述べています。

 

 

 

<打った瞬間左手は強く握る>

 

そこで竹刀を握る左右の手部(柄の部分)に歪み計(写真1・1握力計の小型と考えてください)を挿入し、竹刀に見立てた棒を作り、それを用いて踏み込み面を打った時の両手の握り具合を調べてみました。

 

図1-2は跳び込み面を打った際の両手の握り具合を示しています。左側は熟練者、右側2名が未熟練者の記録です。この記録図を拡大して見ると熟練者の右手圧力は打った瞬間抜け、打撃後に大きな圧力が見られます。一方、未熟練者のそれは打った瞬間左右の手に小さな圧力がみられます。このことを物理学的側面から考えてみた時、熟練者は振り下ろされた竹刀の速度を有効に生かすため、打った瞬間、右手の「握り」を緩め、左手は逆にしっかりと握り占めています。そうすることにより、竹刀の並進運動の要素を柄頭中心の回転運動に変え、切っ先の速度を落さず打撃力を増しているものと考えられます。このことは丁度、石や階段につまずいて勢いよく頭から転ぶことと同じ現象といえます。しかし、未熟練者は並進運動を回転運動に変えるまでに至っていないことから、切っ先の速度を速めることができません(竹刀の動きの力学参照)。右手を一瞬緩めるためには、左手の握りを強くしなくてはなりません。

 

 

 

<形と地稽古では手の内は違う> 

 

一方、この現象を運動学的側面からみた場合、熟練者が面を打った瞬間、手の内がいわゆる茶巾しぼりの状態ではなく、右手は脱力状態、左手は緊張状態です。茶巾しぼりに打てという一般的な教え方と実験結果は明らかに異なっていました。この違いは次のように考えることができます。茶巾しぼりに打てという教えは、木刀で形稽古をする時の指導法であった。それが打突部位を「打つ」という動作に変わってもその指導理念が受け継がれたものと考えられます。すなわち、形稽古の場合、紙一重で木刀を止めなくては相手に当ってしまいます。そこで振り下ろす速度を急激に落して止めるには、両手で木刀をしっかり握り締めなければなりません。これは「斬る」ということを 考えた場合、やはり握り締めなくては一刀両断にはできません。剣道競技で形稽古のように打つなら、振りおろした竹刀を打突部位直前で止めてしまうことになります。これでは、せっかくの打突も有効にはなりません。熟練者が面を打つ時、おそらく茶巾絞りを心掛けた打突動作を考えていたであろう。しかし、打突を繰り返しているうちに自然に無駄のない打ち方をした結果、打突直前に左手は強くにぎりながら右手を一瞬緩めることを体得したものと思われます。

 

 

 

 名著「剣道」を上梓した三橋範士は、自分の経験から手のうち(右手)について古来より「握りしめて打てという教えがあるが、握りしめる事は「しない」の速度を加えることに何の役にもたたないから、打を強くすることにはならないと述べ、握りしめるのは、打った反作用で「しない」に力が加わるので「しない」が手から離れないようにするためと、打ったとき次の動作を行うのに都合のよいように「しない」を止めるためであると示唆しています。

 

 

 

ちなみに、全日本選手権最多優勝者宮崎正裕剣士の面打ち時の手の内を写真上に、恵土の面打ち時の手の内を下に紹介しておきます。