一流選手の指導事例

剣道競技でよりよい成果を得るためには、優れた体力・技術・精神力並びに戦術などが必要である。たとえ優れた戦術を有していても、体力や精神力が劣っていれば技術を十分に発揮することは困難であり、逆に優れた体力や精神力を有していても技術が劣っていれば、良い結果を得ることは難しい。

 対人的競技である剣道においては体力的要素よりも技術的、戦術的要素の重みが大きい。とりわけ打突直前における、この間(距離)では“打てる”、“打てない”という空間的認知と、相手動作の正確な認知を基盤にして企てる戦術は的確でなくてはならない。

 私の手がけた一流選手と私の場合についての分析から剣道における一流選手の条件を示してみたい。

 

その1.

野崎選手の場合(第19回全日本学生剣道選手権大会優勝、第2回世界剣道選手権大会優勝)

 野崎は鹿児島商業高校時代、県大会レベルでその技能は上位入賞する程度のありふれた選手であった。大学進学にあったても当時著名であった関東の大学からは勧誘はほとんどなく鹿商の監督の前田先生の奨めがあって、中京大学監督の私のもとに昭和41年に入学してきた。身長178cm、体重70kg。当時の大学剣道選手としては、比較的大きく体力もあった。そのせいもあってか一足一刀の間からのとび込み面打ちが得意であった。というよりも面しか打たなかったといったほうが正鵠を射ている。九州男児、とりわけ鹿児島剣士たちの剣風はどちらかというと小手先の技や、いろいろな作戦を駆使して勝を得るようなものではなく、一刀両断に切ってしまうというもので、野崎もそんな剣風を身につけて入学素してきた。これは当然のことながら1・2回戦での戦いでは、それは見事な打ちで勝を収めても、回が進むにつれて、いわゆる試合巧者といわれる選手には勝つことはできなかった。

 私は野崎とくに特別な注文やアドバイスは与えず、彼との稽古では、ただひたすら彼の得意とするとび込み面打ちを他の部位は打たれても、打たれないように心掛けた。157cmの私が約20cm差のある野崎と対等に戦うには、いわゆるフットワークを使った乱打戦に持ち込む以外に方法はなかった。野崎はフットワークを使って乱打戦に持ち込む私にうまくしてやられないために、やむを得ず手数もフットワークも使わざるを得なかった。このような練習の仕方は、日が経つにつれて私との稽古だけにとどまらず、約100名近い先輩や後輩との間においても行われるようになった。

 剣道の試合は5分間のうちで2本先取、あるいは1本対0本ならば勝負有りである。したがって試合開始後、最短で2~3秒で勝敗が決せられる場合もある。大学生の平均的な試合時間は約3分程度であるといわれる。このような試合時間は強靭な精神力よりもむしろ集中力が必要であるように思われる。

 私は野崎との週2~3回ほどの稽古では、3本勝負を連続して7セットほど行うのが常であった。時間にしてやく20分。試合が終わると掛稽古、いわゆる相撲でいうぶつかり稽古を約30秒間。その後再び3本勝負を行う。この時私は野崎の弱点を立ち上がると同時に攻める。その打突を完璧によければそのまま試合を続行する。しかし私の打突が野崎の弱点を多少とも衝けば試合を中断し掛稽古を行う。このような繰り返しを、野崎が私から有効な打突を続けて二本取るまで行ったものである。

 私の気分次第でどこまでも稽古が行われるかわからない稽古の仕方は部員から批判の声があがり、稽古時間を決めて欲しいという要望もあった。しかし私はこれはとおもう選手には断固この方法をとり続けた。もともと九州男児である野崎はこのような稽古方法に対して、旺盛な闘争心で立ち向かってきたものである。

 疲労困憊直前における「もう一本」「もう一本」と際限なく繰り返される稽古に耐えたところが、野崎選手が剣道において一流選手となる素質ではなかったかと思う。

 

その2.

堀田選手の場合(第19回全日本女子学生剣道選手権大会優勝)

 堀田は中学校でのスポーツ歴はなく、昭和54年石川県立金沢桜丘高校に入学した時に先輩のつけていた袴姿にあこがれて剣道部に入部した。高校時代にはインターハイへの経験はないものの剣道を続け、将来体育教師になるべく金沢大学へ進学。同時に私が監督をしている剣道部へ入部した。

 表 昭和60年度全日本女子学生剣道選手権大会優勝者堀田選手(金沢大)の体力、運動能力

1.形態                    身長170.2cm 体重52.5kg

2.垂直跳び                             52cm

3.50m走                              7.8

4.素振りの速さ(10回の所要時間)                  6.95

5.面打突時間                            0.375

6.小手打突時間                           0.333

 

大学4年次の形態、運動能力を表に示した。身長は女子としては大きい。この点は野崎と同じである。しかし野崎と異なる点は、①剣道開始時期、②出身高校は進学校、大学は国立大学ということから練習時間が私立大学ほどとれない点、③性格は質実剛健というよりは、むしろ北陸人特有の耐え忍ぶというものであった。

 私は堀田に限らず国立大学生を対象に練習計画を立てる場合には3分の1時間、技術を支える体力づくりに、他の3分の2時間、技術づくりに時間を配分する。週4回、1回2時間の稽古、週2回、1回1時間のトレーニングが堀田の稽古時間である。

 堀田と私の稽古はセット数とか、もう一本、もう一本といったやり方は野崎と全く同じであったが、良いタイミングや良い間から打突の場合には意識的に打たれてやった。堀田は野崎のように面打ちだけにこだわらず、対戦相手の動きや戦法にあわせて、いろいろな攻撃、防御動作をとった。長身の堀田は背の低い私の面をよく攻めたが、そのほか面を攻めて小手打ち、小手から面打ち、小手から胴打ちとその攻めやタイミングは変化に富んでいた。1、2年生の頃はしばしばこのような攻めによってなされた打突に対しては故意に打たせ自身をつけさせた。3、4年では意識的に打たせる必要もなくなり大方の攻撃ははずして反撃をくわえた。通常5、6分で女子の場合は闘争心が減退したが、堀田はそれこそ打たれても、かわされても、もう一本、もう一本と果敢に挑んできたものである。私の終りの発生があるまでである。

 4年生の時、インカレの決勝戦の直前に私は堀田に“気合をかけ、足をよく使って、打ちだしたら、一本取るまで打ちつづけよ”そして時折私を見るようにアドバイスした。彼女は気負いもなく素直に“ハイ”といった。さすがに決勝戦では準決勝戦よりも固くなり足の動きも、気合も悪かった。試合が中断して開始線に戻るごとに最初は頭を縦にふり、“それでよい”というゼスチャーを、中盤からは肩を上下に動かして“リラックスせよ”というゼスチャーを送った。4分の試合時間が過ぎ延長戦に入る頃より“気合をかけろ”というアドバイスも彼女は正確に実行した。時間内に決着がつかず延長三回に及んだ。本人にも相手にも共に身心の疲労が見え出し、繰り返し出す技も単一化してきた。このような状態になると日頃、もう一本、もう一本と、いつ終わるともしれない稽古を繰り返してきた堀田に分がある。相手の柴田選手(中京大)が何回かの小手打ちにきたところを応じて面に返し優勝を決めたのは3回目の延長戦も終り頃であった。

 

その3.

私の場合(第6・9回全日本学生剣道選手権大会優勝、第7・8回全日本学生剣道選手権大会準優勝、第13回全日本剣道選手権大会準優勝、第9・1012回全日本剣道選手権大会三位) 

 私の身長は、前に記したが157cm、体重57kg、胸囲92cm、背筋力140kg、100走14秒、握力右53kg、左50kgというのが大学時代の体格、運動能力であった。

 高校時代に週6回、一日約2時間の稽古によって、全国優勝1回、三位1回、国体準優勝1回を果たした私は、昭和33年4月に新興の中京大学に入学した。大学では、練習相手に恵まれず母校の中京商業高校や当時実業団大会で全国優勝を果たした東洋レーヨン株式会社剣道部、あるいは第1回全日本剣道選手権保持者の所属する名古屋刑務所剣道部等へ、週4~5回出稽古を繰り返した。出稽古場所よって稽古時間は1時間~2時間であったが、毎日1000本の素振りと早朝30分間の軽いランニングは欠かさずおこなった。

 昭和33年から4年間インカレ決勝に進出、そのうち1、4年次に優勝。一年次は試合に行く前から優勝できるのではないかと思っていた。そのわけは前年度の同大会で1つ上の先輩が2位に入賞したのを聴いて、この先輩が2位ならば自分は優勝できると単純に考えてきたからである。しかし実際は団体戦の一回戦でもろくも敗れてこれは大変だぞと気分を入れなおし、個人戦に臨んだものである。

 

4年次優勝直後に決勝試合について記した日記があるのでここで引用してみる。

 試合開始後2分経過。相手方のコートの隅へ白木選手追い込み小手を打とうとした瞬間に小手を打たれ1本取られた。相手の小手打ちは面布団に当たっており、不十分なもので自分としてはしこりの残る判定であった。しかし高校の恩師前田先生の「相手の竹刀が打突部位でなくとも体に触れたら負けだ。」という教えが、この不満な判定を一瞬のうちに忘れさせた。二本開始後あせる気持ちを押しとどめることができたのは。コートの外から聞こえてくる「時間はまだあるぞ。」というアドバイスであった。逆にあせったのは、一本先取し優勝が近づいた相手の白木選手であった。彼は「一本勝」にするべく逃げの作戦をとったのである。私はこの作戦を見て取り、積極的に攻め先取されてから概ね30秒たったところで相手を追い込んで小手を一本取りかえした。こうなれば、堀田や野崎にいやというほどやっている練習法を高校時代前田先生から同じようにやらされている私の方に分があるというものである。

 

まとめ

 剣道の運動成果に関係する体格、体力、技術、精神力については前書きで述べた。先に例示した野崎、堀田両選手とも体格に優れていたが、私の場合、それには恵まれているとはいえない。体格が優れていることは、竹刀という媒介物がある故に有利であるが、体格の欠陥を他の要素-戦術、技術、精神力-補うことは不可能でないように思われる。それでは戦術、技術、精神力を養うものは何か。それは良き相手(質)と豊富な稽古量である。特に後者は個人の体力と気力に大きくかかわっている。つまり充実した体力と気力によって必然的に稽古量が増え、それが戦術、技術、精神力の向上につながっているのではないかと思われる。すなわち、稽古量を高めることのできる能力こそ、剣道における素質(タレント)といえよう。この点は野崎、堀田、私においても共通した点であった。

 最後に剣道の攻防は、0.40.5秒の間で繰り広げられるので、反応の速さや反復の速さといった敏捷性も重要な素質であると思われる。

引用  恵土孝吉著 剣道の科学的上達法 スキージャナル(剣道日本)