惠土孝吉が70年に及ぶ剣道人生のすべてを語った『夢剣士自伝』、2023年3月30日刊行‼
選手として勝つために何をすべきか。
指導者として勝たせるために何ができるか。
昭和28年、しない競技から剣道人生をスタートした惠土孝吉は、
勝利を目指してひたむきに走りつづけた。
身長157センチの体躯で昭和30年代の剣道界を華々しく彩り、
指導者として中京大学で数々の名選手を鍛え上げ、
勝てない東大を全国大会出場に導き、
金沢大学を全国レベルに押し上げた。
川上岑志、戸田忠男などライバルとの激闘、川添哲夫との名勝負秘話、
科学的研究に戻づく独創的トレーニングの方法から、
戦後剣道の歴史、剣道技術の変遷まで語り尽くした480ページの大著、堂々完成。
(なお本書は書店ではなく、Amazonで販売します)
夢剣士自伝 目次
プロローグ
第1章 ホルモン屋の六男坊
第2章 しない競技入門
第3章 ふしぎな恩師
第4章 インターハイ制覇
第5章 名人・鈴木守治
第6章 最強のライバル
第7章 もっと強く!
[座談会]怪物・惠土先輩と暮らした4年間
細田銉郎・川口正人・西田忠幸
第8章 三たびの決戦
第9章 立ちはだかる巨人
第10章 上段の時代がやってきた
第11章 長蛇を逸す
第12章 新たな旅立ち
第14章 キネシオロジー研究会
第15章 中京の四天王
第17章 さらば明道館
[対談]範士八段を育てた非科学的練習法
豊村東盛・水田重則
第19章 恵土マジック
第20章 南下軍の歌
第21章 金沢大学ここにあり
第22章 連打速攻の剣
エピローグ 夢剣士の夢
◎「第16章 若き王者を撃て」より
昭和47年 第20回都道府県対抗(愛知県対高知県)
太陽光を背にして戦う
――チャンピオンとなった川添さんは一躍剣道界の大スターとなります。先生がその川添さんと伝説の名勝負を演じたのが、昭和47年5月3日、都道府県対抗戦でした。先生が川添さんと当たることは当日わかったのでしょうか。
惠土 プログラムを見ればメンバーが出ているので、1週間以上前にわかっていました。
――対上段の片手上段を試すのに絶好の機会だと思われたのですね。
惠土 当時の川添さんには中段では勝てないという思いがあったので、それなら片手上段でいこうと決めたんです。
――学生時代にお伺いした話だと、前日に試合場を見に行って、予想される試合の時間帯に太陽の光がどう入るか、その方向なども確認されたとのことでした。
惠土 この大会に限らず、試合のときの太陽光線はいつも気にしていました。前日の会場下見もほぼ毎回やっていたと思います。
――太陽光を背にして戦おうということですね。
惠土 はい。あのころの体育館はそういう配慮がなかったので、午後になると西日がまぶしいといったことはよくあったんです。暗幕を引くわけでもないので。
――そのほかに試合までにやられたことはありますか。
惠土 竹刀は慎重に選んだですね。
――先生はどのくらいの重さの竹刀を使っていらしたのでしょう。
惠土 当時は485グラム以上という規定で、僕が使っていたのは510グラムくらいじゃなかったかな。特別に重い竹刀を使うということはなかったです。
――かなり気を配っていらしたのですね。
惠土 はい。現役のころはとにかく竹刀選びには神経を使いました。規定ギリギリの軽い竹刀を使うとどうしても竹刀負けするというかね。パパっと払ったりするとき、軽い竹刀だと十分に払えなかったりします。僕は小さいので相面のときなどそうでなくても不利。だから少なくとも竹刀負けはしたくない。軽いと打ったときグニャっと曲がることもあるし、打ちも軽くなる。そのあたりも勘案しながら、しつこく防具屋に通っては竹刀を選んでいました。
――川添さんとの試合は片手上段と決めていたので、軽いものを使ったのですね。
惠土 はい。これはもう規定ギリギリの竹刀を用意しました。いま思い出したのですが、このときはゴムの鍔止めを使わずに、鍔の下に包帯を巻いたと思います。鍔が下がってこないように、そして少しでも竹刀を軽くするためにそうしました。
――試合前の心がけとしては他にも何かあったでしょうか。
惠土 実はこの試合、豊村が面持ちでついてきていたんです。豊村によると、試合まであと何分くらいかこまめに知らせろとか、小手や柄が乾ききっているといけないので適度に湿らせるようにとか、いろんな指示を受けたといっていました。これも選手権など大きな大会のときは必ず実行していたことです。準備運動でどのていど体を動かすかなど、試合開始時間から逆算して細かく決めていました。
完璧な左小手vs超速の左小手
――ここからは実際に川添さんとの試合の映像を見ながらお話を伺います。
試合開始と同時に川添さんが右横面を打ってきました。
惠土 これ、当たってるんですよ。やられた、と思ったけど旗が上がらなかった。取られてもしかたがない面でした。
――この試合は鍔競り合いも見どころのひとつです。
惠土 これは苦労しました。川添さんが絶対に離れようとしないんですよ」
――この左小手が一本です。完璧ですね。一歩、二歩、三歩と間合いを詰めてすかさず小手。
惠土 これは思ったとおりの小手が決まりました。僕が左、左、左と斜めに間合いを詰めて行ったわけですが、川添さんはこの技は経験がなかったでしょう。相上段ではこういう攻め方はしないですからね。僕のほうは左、左、左といく勢いを使って振り下ろしています。
※続きは本書で!